• 岩澤 康一

コミュニケーションの究極的な目的とは何でしょうか?わからなくても、コミュニケーションはイノベーションを生みます。

コミュニケーションの究極的な目的とは何かという問いは、コミュニケーションを専門として、広報やPR、そのコンサルを職としている限り、答えはわからないですが、考えておいた方が良いと思っています。


「他者と完全に伝え合い理解し合うこと」でしょうか?その実現可能性はさておき、この目的を果たすことを求め続けるべきなのかどうかは、かなり「コミュニケーション」を考える上で本質的な問いだと思います。


まず、コミュニケーションは必要不可欠なのか、ある程度必要なのか、必要ないのか。


これは個人レベルと、他者の存在も想定した上での社会レベルで違う議論が必要だと思います。ただ、他者の存在を想定しない個人は、そうそう想定できないですし、仮にそういう状態に生まれついても、自分なりの言語を発達させることで、人はモノを考えるという意見もあります。オオカミに拾われたら、オオカミの言葉(のようなもの)を覚えるらしいです。いわゆる、サピア&ウォーフの仮説です。人がモノを考えるためには言語が必要との仮説です(実証できないので、まだ仮説どまりらしいです)。そして、多かれ少なかれ、モノを考えない人はいないので、すべての人は言語を使用するし生み出す力がもともと備わっているという意見が、通説のようです。


他者と同じ言語を使っていても、言語を使ったやりとりを通じて、新しい意味や解釈が生まれますし、言語自体も新しいルールや言葉の登場で更新されていきます。


とはいえ、人間社会でよりよく生きて、よりよい社会づくりに参加するためには、コミュニケーションは必要ですし、知らず内に発生するものだと思います。他者の存在がある限り、他者と協力していく限り、コミュニケーションは必要だと思います。そこで、個人レベルでも社会レベルでも、何かの目的を達成するためには、そのために適した、効果的な、良いコミュニケーションをする必要があります。ここを考えて、工夫して、往々にしてビジネスに役立てるための支援をするのが、我々のようなコミュニケーションコンサルタントです。


しかしながら、コミュニケーションの究極的な目的を「他者と完全に伝え合い理解し合うこと」と置くことは、実現が可能だと判明した時は(AIが人間の知能を超えて知的活動で人間を代替するシンギュラリティが到来した後?)すばらしい目的になると思いますが、今日では、ここを目的とするよりも、他者とは完全に伝え合えないし(不十分なコミュニケーション、いわゆるディスコミは常に発生する)、理解し合えない(ミスコミも常に発生する)けども、一応の合意には至ることができるととらえておくと、前向きな気がしています。


あと、不十分で不完全だとしても、コミュニケーションを他者と交わすことで、特に議論をすることで、新しい言葉、言語、解釈、意味、発明、いわゆるイノベーションが生まれることは、人間社会においてコミュニケ―ションが果たす重要な作用だと思います。イノベーションを生むことをコミュニケーションの目的とすることは、大いに進歩的で建設的な考え方だと思います。


(了)




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